掌蹠膿疱症・外見が気になって自分に自信が無い

人の目線が気になる
10年間 掌蹠膿疱症と闘ってきた私の経験、あの頃の自分のように現在悩んでいる方がいらっしゃったら
と想いどこかで綴ろうと思っていたのですが私の長文の発信はこの「結婚相談所」のブログのみなので
こちらに書かせて頂きます
現在55歳の私です、38歳のある頃「手の皮がめくれる」「足に水膨れが出来る」最初はぽつぽつ
恥ずかしい水虫?どうしよう・・・
皮膚科に行き「今日はどうされましたか?」と聞かれ「水虫になりました・・」と小さな声で告白(赤面)
間もなく40歳とはいえ女心
当時、名古屋市内で一人暮らしをしていたので近くの女医先生のいる皮膚科を選びました。
水ぶくれやめくれた皮膚を何か所か採取 顕微鏡で確認「んー水虫じゃないですね」
当時は年齢を重ねると汗が上手く放出されないこともあるから・・と初診は様子を見ましょうという事でした。
そこからだんだん、水ぶくれが先ず 右手の親ゆびの下あたりにカエルの卵のようなぷつぷつが出来始める
次の日にはすべてかさぶたの様になり 皮がむけ始める
その後、右足・左足の土ふまづにも同じような水ぶくれが・・・
最初にぷつぷつが出来てからひどくなるまで、それほど時間が掛からなかった様に思います
当時 奈美悦子さんが同じように掌蹠膿疱症の経験をテレビでご自身の事を話し始めていたので
病気も少しずつ 皮膚科の先生に認知されるようになり「掌蹠膿疱症ですね」という診断
ビオチン・ビタミンC・整腸剤を処方してもらい
足の皮膚の皮を自分でめくらない様に2週間に一度くらい看護婦さんにカットしてもらう
今考えると、カットしてもらう必要はあまりなかった(笑)
鎖骨がいたい、神経痛の様にピリピリ痛い・・整形外科へ行くと「骨が炎症していますね」「骨が炎症するの?」
と思いましたが「掌蹠膿疱症なんです」とお伝えすると 「じゃあそれですね」と鎮痛剤を出してもらったかどうかも
定かではない
手の皮がめくれる、今の様にキャッシュレスではないのでお金を渡し、おつりを頂く
それこそ コロナ以前は釣りセントレーでのやり取りではなく、直接手渡しが多くて人の目線が気になる
お洒落が出来ない
お洒落番長として、いつもファッションを楽しみ「カッコいい女性」でいたかった 40代
しかし、サンダルが履けない
履いてもいいけれど「水虫?」と思われてしまうかもの足の皮が常にめくれている
靴下+サンダルは出来てもお洒落は二の次
3年目くらいが一番ひどく 歩行困難 歩くことも辛いから
靴下は欠かせない
ネイルサロンには毎月通っていました、でも出来るのは手だけ 20代の頃 まだハードしかない時代から
ハンドケアを欠かさない私、手の皮がめくれるからネイリストさんに迷惑かけない様に手にストレッチ性の
包帯をしてやって頂いていました。
爪くらい綺麗にしておかないと手はかなりひどい
仕事にも支障が、原因が分からない
私の仕事は、アパレルのセールストレーナーとして担当ブランドの名古屋支店エリアの全店舗を担当して
サポートする事!売り場の魅せ方で入店率が変わるから、店頭へ行くと売り場のディスプレイを手直しする事が
多い日々でした。
掌蹠膿疱症は10年かかる という記事を読んで、少しでも軽い症状で乗り切りたい!と思って
私の原因を一つ一つ確認
①タバコは吸ったことが無い
②虫歯のかぶせ物をすべてセラミックに入れ替え
③ストレス・・・これだけは何とも上手く付き合う
④食べ物・・私の場合 赤ワインと牛肉を食べるとひどくなる
先生いわく、好きな食べ物を我慢する事もストレスになるから食べてもいいよって
私も完治するわけではないので食べたいときは食べる!
同時に薬を飲んで、塗り薬を塗っていても
冬になると神経痛の様に肩と鎖骨辺りがいたい
売り場の手直しも、ハンガーに掛かっている冬物を持つことだけで痛い
手の皮がむけるので ニットを触ると大変な事に・・・
口だけで指示をして相当仕事に支障がうまれました
5年の時が過ぎても皮膚科に通い続け、薬をもらい
皮膚科に行くと「シミ取り」「プラセンタ注射」40代になったお年頃の私には何とも魅力的なポスターが
目に留まり掌蹠膿疱症の治療ともろもろで年間10万円は超えた皮膚科への支払いでした。
東京へ転勤 名医を探す
43歳の時に東京へ転勤しました。最初は仕事に慣れるのに精いっぱいで余裕が無かったのですが
落ち着いたころ、掌蹠膿疱症で歩行困難迄なる事が無くなっていましたが治療したい!
奈美悦子さんが通っていた秋田の先生を調べたけれど
秋田迄通うのは難しい、東京だし、名医がいるはず、と思って検索をしました
聖母病院 の小林里実先生 私の住んでいた文京区からはそれほど遠くない
早速予約、初診時は皮膚と水泡を採取「水虫菌」はいなかった。掌蹠膿疱症の病巣となっている原因を知るための
血液検査やビオチン・ビタミン・整腸剤の処方に加え、足にはシップではない保湿材のような白いもので
乾燥しない様にカバー、「これはもっと足元のおしゃれは難しいぞ」
塗り薬も2種類のヴァセリン、べたべたするから 優等生じゃない私は時々しか塗らない・・
半年くらい 薬を処方しても改善が見られないので「強制はしない」「必ず治るとも言えない」と言われながら
後は「扁桃腺の切除」です
というアドバイス 丁度有休が溜まっていたので意を決して比較的イベントの無い2月に10日間の手術・入院しました。
扁桃腺の切除手術と寂しい私
2017年の2月、聖母病院で扁桃腺の切除手術を受けました
入院するのも人生で初めて、「扁桃腺切除」で検索すると出産より痛いとか出血が止まらない
数日後に出血など怖いWordが並ぶ
どーしよー
一人暮らしの私は、姉に来てもらい洗濯物などお願いする
前日はめちゃくちゃ怖くて お姉ちゃんに八つ当たり ほんとにごめんなさいというくらい
妹の私は甘えていました
手術当日にネイルを外し忘れ・・脈がとれたのでそのままオペ
目が覚めて1日、出血は1滴も無し・鎮痛剤を点滴されていたのか痛くない・痛いのは口を大きく開く器具が入っていたのか?
口が切れていたちょっと痛い(ほんとにちょっと)
2日目も同じく何事も無い
辛かったのはお風呂に入れない事
体はタオルで拭くことが出来るけど、頭が洗えない 自分のにおいが気になる
お見舞いを断っておいてよかった
更に怖かったこと 大部屋に1人きり、大部屋なのでカギをかけられない 病棟の端の方の部屋で
痴呆症のご老人が多い病室に近く、俳諧?夜中になるとすり足が聞こえてくる 怖い 眠れない
少し眠剤出してあげましょうか?とおっしゃっていただいたのですが
絶対ダメとなぜか姉が拒否 10日間の間唯一 睡眠がとれたのは3日間くらい同部屋に誰かが入院していた日
誰かに会いたいけど、こんなにお風呂に入っていない私は誰にも会いたくない(会えない)
睡眠不足で顔が不細工
喉をつかえないのでしゃべれない
心の本音
夜眠れないので、自分の人生について考える時間がたっぷりある
振り返ると一人が気楽、自分の部屋に友達が泊まりに来ても別の部屋か見えない場所に布団を敷く私が
病室で1人だと眠れない・・
他の人が居る事の安心感を体感していた。
38歳の時に一つの恋が終わってから 手術をしている私は47歳 そろそろ10年彼氏なし
孤独な病室 心配してくれる彼もいない
退院後 迎えに来てくれるのはお姉ちゃん
淋しすぎるぞ・・・
退院してから婚活し始めました・・・
そのことに関してはここに気持ちが当てはまる私でした良かったら読んでください
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通院終了の時
途中で私の心の本音に話が飛びましたが、肝心な掌蹠膿疱症
退院してから何度か通院しました。それは耳鼻科の方ですね、傷口の確認でした。
退院後もいつもの薬を頂いていましたが、またまた劣等生の私は飲んでいない
退院後 3か月 、私の場合病巣が扁桃腺だったのですね
治療を終了しました
お洒落できる!!
と嬉しくなりサンダルを買いました。
劣等生で飲み忘れが多かったビオチン・ビタミンC・整腸剤は年齢を重ねた40代後半には飲み続けて
いたいサプリメントかもしれません
お肌の調子がキープ出来ます
あれから7年経ち実は風邪を引いたり、季節の変わり目になるとまだ左足にだけ掌蹠膿疱症が
現れるようになりました。
そして、相変わらず牛肉と赤ワインが私には反応するようです
もちろん 鎖骨が痛いとか、手に広がって出来るという事は一切なくなりました。
大きな原因は取り除かれても上手く付き合っていくしかないのですね
最後に
私の場合は掌蹠膿疱症でした、以前結婚相談所の会員様もアトピーで悩んでいて 自分に合った注射に出会えて
とすごくきれいになっている方もいらっしゃいました。
彼は入会の時 顔にも出ていて辛そうでしたが、成婚退会の時は恋の力が働いたのか、注射のおかげだけなのか
わかりませんがつるつるしていました。
私の仕事は 人前に出る仕事で、隠しきれないものだから、人目がすごく気になるし、仕事にも支障が出てしまう
時もありました。気が付けば恋をすることも「今は無理」と思っていたのかもしれません
たまたま扁桃腺切除で改善して治療から解放され、入院時の体験から一人は寂しいと強く思う様になり
「結婚したい」へ意識が変わりました。
今、掌蹠膿疱症で悩んでいる方へ私の場合をお伝えしたくてご紹介させて頂きました
笑顔でいてくださいね