52歳で結婚した私の本音

52歳で結婚した私の本音——「おひとり様の寂しさ」を抱きしめるまで
一人は気楽。でも、満たされない夜がある。52歳で結婚した私が、おひとり様の本音と葛藤、強がりの下に隠れていた「寂しさ」を静かに綴ります。
1. ずっと一人で平気——そう言い聞かせていた頃の私
「一人が気楽でしょ?」と聞かれるたびに、笑ってうなずく自分がいました。
本当にそう思う日もあります。誰にも合わせずに過ごす時間は、確かに軽やかです。仕事に打ち込み、押し活をし、
部屋の温度も照明も自分の機嫌に合わせられる自由。
しかし、“気が楽”と“心が満たされる”は別だと知っていました。
帰宅して誰もいない家に、「帰りました」と当たり前のように言いながら、玄関の電気をつける
「あー疲れた」という安堵と「いつものように静か」という淋しさ
体調を崩した夜も一人で、不安になる
スーパーでの食材は大体2人前、「半分でいいのに」と思いながら・・結局作って食べ過ぎる(笑)
おひとり様が長いほど、生活のリズムも価値観も、自分の形にぴたりと収まっていきます。その形を崩すのが怖い。
でもそれを維持するには一人で頑張り続けなければならない
長く続けていると、不安になる事も多かった。
2. 夜の静けさと年越し——揺れる心の真ん中で
一年の最後の日は、なぜかざわつく・・・アパレル業界にいるので31日も仕事の事が多かった
2日には仕事なので、実家に帰る事も無く一人で年越しをする毎年
テレビのカウントダウン、スマホに届く「おめでとう」。賑やかな音の向こうで、私の部屋は相変わらず静かで、
また来年も「このままずっと同じ?」・・・という問いだけが、やけに鮮明でした。
「一人でいるのが好きなんでしょ?」と聞かれて、私は微笑みながら「うん」と答える。嘘ではない。けれど、
好きでいることと、寂しくないことは、同じじゃない。
おひとり様の時間が長くなるほど、ふとした拍子に、心の重さが少しだけ増す夜があります。
何かが足りないと断言するほどではない。けれど、誰かに「今日ね」と、たわいもない話や愚痴を聴いて欲しい日が、
確かにありました。
交差点で肩がぶつかって恋が始まる、ドラマのようなことが起きたらいいけど、絶対にありえない
合図も、演出も、音楽もない。だからこそ、自分の気持ちを表に出して、行動に移すという事に時間と勇気が必要
「この静けさが好き」も「この静けさが苦しい」も、どちらも私の本音でした。
3. プライド、怖さ、そして小さな希望——強がりの下にあったもの
「頼るのは負けみたい」——そんなプライドが、私の中に常にあります。
自立しているね、と言われるのは嬉しい。頼らずにやってきた歴史は、確かに私を支えてくれました。
だからプライドが高くなる
でも、ある日ふと気づきます。自立と孤立は、よく似ているけれど違う
おひとり様の私にとって、いちばん重かったのは「今さら」の二文字でした。
今さら人に弱さを見せること。今さら生活のリズムを誰かと合わせること。今さら、期待して傷つくかもしれないこと。
それでも、心のどこかでそっと探し続けている、“私の一番の味方が一人いる”という想像でした。
完璧な相手を求めていたわけでもなく、ただ、帰り道に、「今日は寒かったね」と言える相手がいること。
お休みの日に「今日は何する」「何食べる」と言える相手がいる事
52歳で結婚した今、過去の自分に伝えたいのは、派手な励ましではなく
強がりはあなたを守ってきた。そのことを、まず誇っていい。
でも「寂しい」と言葉にするのは、弱さではないと思います
もしこの文章のどこかが、あなたの夜の静けさに少しでも寄り添えたなら、それだけで十分です。大丈夫、あなたの歩幅でいい。
誰にも見えないところで、ちゃんと前に進めています。
最後に
私は、52歳で結婚しました。49歳でやっぱり一人は寂しいという気持ちが高まり「婚活」を始めました
「結婚相談所」は敷居がプライドが邪魔をして「まだ、自分で探せる」という気持ちが強く「婚活パーティー」に参加しました
婚活パーティーで素適な人に出会ったけれど「結婚」をする気があるのか!?本当に独身だったのかさえも
いまだに不明。
今の旦那さんとは「友人の紹介」といいうミラクルな出会いと「コロナ禍」でお互い時間が出来た事で結婚
確実におひとり様の時にずっと願っていた「一番の味方」です。
「結婚相談所」を運営していますが、これは“方法”の話でも、“こうすべき”の話でもありません。
ただ、強がりの下にいるあなたと、少しだけ肩を並べて歩いてみたかった——そんな手紙のようなブログです。